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RGタイムズ紙 / スポーツの秋?食欲の秋?読書の秋?……それともRGの秋?

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雷神家の絆 最終話 高度18 「空は白く染まり」

雷神家の絆 最終話 高度18 「空は白く染まり」

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<<雷神家の絆 第4部目次へ>>

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「よう、こんなところで会うなんて奇遇だな」

 男はブロッケンから無防備に身体を曝け出して、まるで街中にて偶然会ったかのような装いで右手を上げた。コクピットから外へ出ると、肌を刺すような冷気で頬が赤くなった。
 空から振る白い塊は湖に落ちて溶けていく光景は強く彼の印象に残る。
 ――ああ、確かこれは……雪とかいう現象だったか――ジャン・タークは文献と映像記録のみで見た不確かな知識を引っ張り出して思い出した。
 見上げれば、天は白く染まり、一面を銀色に煌かせている。
 レティシアも釣られるように空を見上げて、両の手のひらを掲げて粉雪を受け止めていた。

「ええ、奇遇ね」

 二人はここに至るまでの戦いの痕跡など微塵も感じさせない、平素のまま本当に偶然出会ったかのような装いで接していた。
 ジャン・タークは土の感触を確かめるように静かに地に降った。
 二人を隔てる距離は無慈悲に引き去れて分かれてからの時だった。その時をジャンは一歩一歩埋めるように歩いていく。
 母は否定するでもなく、歩み寄るでもなく、ただじっと我が子が近づくのを見届けていた。
 レティシアは背後の紅色の機体と同化するような――囚われているような――色合いのガンナースーツを着ている。そのガンナースーツから浮かび上がる華奢な体躯からは、とても覇者と呼ばれていたニューロノイドとは想像できない。
 ジャン・タークはすでに母だったニューロノイドを手を伸ばせば掴み取ることの出来る距離にいた。それでも彼は、これ以上近寄ることはなかった。否定しなくても、心の距離はまだ埋まっていない――それをレティシアの全身からジャンは感じ取っていた。
 伝えるためには言葉が必要だった。昂ぶるままに感情をぶつけるのではなく、泉のように湧き上る感情を抑えた先に浮かんだ言葉を、ありのままにジャンは伝えようとした。

「帰ろう、レティシア――いや、母さん。もう母さんが苦しむ必要なんてないんだ。そんなものは捨てて一緒に暮らそう。騒がしい俺の娘達と一緒に、楽しく暮らそうぜ――だから、帰ろう」

 瞳を合わせれば、全てを奪われるような――鋭く、気高い強者だったはずの瞳が、息子の陳腐な言葉にうろたえていた。息子から母への言葉は、恨みもなく、責めるわけでもない。一緒に暮らそう、たったそれだけの――されどレティシアが、我が子として愛した少年と過ごして夢見た幸せな光景だった。
 レティシアは息子が差し伸べた手を取りたかった。ニューロノイドである彼女にとってはマスターよりも愛しい息子と平穏に暮らしたかった。だが、レティシアは手を伸ばしかけて、常に彼女を支配している違和感によって反射的に引っ込めた。
 レティシアは迷いから抜け出ることのできない自分に対して悲鳴を上げた。

「ワタシは貴方を愛してる。ワタシに人が言う心があるならば、全身でそれを訴えかけているの。貴方をこの手で抱きしめたいって。それでも、それでも、心の片隅で、この溢れ出るような感情が創造主――ドクター・ゲフィンによって植えつけられた偽りの感情なんじゃないかっていう疑いに気付かされてから……苦しいよ、ジャン。偽りだったとすれば、悲しい。それも全て真実かどうかはエルミニア文書にアクセスすれば全てはわかるはず。だからワタシはここにいる」

 ジャン・タークは黙って耳を傾けては、心中で頷いていた。
 ――やはり、レティシアもなのか。
 一見奔放であるレティシアはあまりに真摯すぎる為に、人ならばはぐらかすような問答に向き合って、痛みを伴っても逸らすことはできなかった。
 雷神は3人の娘との生活によって感じていたことがあった。
 ニューロノイドは多種多様で各々独自の性格模様を為しているが、根源的な部分で成長した人が失う純粋な面を常に持ち続けていた。ニューロノイドによっては表に出さないこともあるが、誰もがマスターに対する異常なまでの献身、奉仕の精神を持っている。それはニューロノイドが血族的な繋がりを持たぬが故に、精神的な繋がり――雷神家のような擬似的家族――において同位体を成そうとする習性を持っているからなのではないかとジャンは推測していた。
 だとすればあまりにも危うい存在である。マイカにとってのジャン・ターク。ヤヨイにとってのマイカ。エステルによる姉二人のように、一方的、又は相互的に依存した関係を築いてしまうと、心を預けた者を失った時の懐死に耐え切れないからである。同化してしまった半身を失えば、心の臓半分を失うのと同様――死の危険を孕んでいた。
 あまりに人類は欲深い。人類自身がそれに気付き、どれだけ努力して隠すことは出来ても、星を食い尽くすような生存欲を消し去ることはできなかった。
 欲の面から見て洗練された新種を生み出そうとすれば、ドクター・ゲフィンともあろう遠見の天才がこの危険性に気付かなかったはずがないとジャンは考えていた。
 ――憎むな、とは言えても、愛するようにとは強要できやしない。誰にだって。たとえ創造主にだって。ニューロノイドの初期条件付けの際に適用される三原則を基盤とした根源律にも、服従は明記してあっても「人を愛せ」なんてことは書いていない。仮にニューロノイドの創造主がエモーションシステムのブラックボックスにその条件を明記してあったとしても範囲を決めなくてはならない。この際の範囲基準は推測に過ぎないがマスターに留めてあると考えるのが妥当だろう。……俺はレティシアのマスターじゃない。それが、きっと答えに近いはずだ――
 溶けた雪によって、いつも軽やかな羽のように舞う髪は重く湿っている。レティシアは捲くし立てるように解けない疑問を続ける。

「この感情が真実かどうかを確かめるだけに、ニューロノイドのブラックボックスを解き明かす為だけにアルテミスに力を貸して、人類を淘汰してきたのよ。何百万の人をグランドールで踏み潰してきたのだろう。こんなワタシでも、ジャンは受け入れてくれるというの?」

 ジャン・タークは笑った。まるで僅かに太陽を覆っていた曇り空が晴れたかのような顔だった。

「受け入れるよ。レティシアがいなきゃ俺の世界は存在しなかったんだ。何百万人、何千万人がなんだっていうんだ。何百億人この地に人がいようとも、俺に世界が存在しなければ無価値に過ぎないからな。この傲慢に比べれば何百万人の人類を殺めようと、軽いもんだとは思えないか?」

 レティシアの存在が、廃棄街の餓鬼に過ぎなかった子供をジャン・タークにした。灰色に閉ざされていた彼の世界に彩りを与えた。――だからこそ、レティシアはジャン・タークにとって世界を与えたものだった。故に彼女を否定することなどジャンには出来ようはずがない。

「例え何百万人の命が、貴方が存在する世界に比べれば軽いものだとしても、ワタシは貴方の愛する妻でさえも――間接的にとはいえ――殺したのよ。代えの効かない一人ですら、軽いものだとジャンは言えるのかしら」
「言えるさ。リオリーを殺したレティシアを俺は一生許さないだろう。でも、憎悪と愛は同居できることに気付いたんだ。だから、問題はない」
「……全てワタシ自身の問題ということなのね」
「そう、俺は君に全て話した。後はレティシアがどうしたいか、だな」

 そういって、ジャンは唐突にレティシアに対して背を向けた。縮めたばかりの距離はまたゆっくりと開いていく。
 ジャン・タークは振り向き、レティシアに向かって叫んだ。一陣の風が吹いた。乾いた風はジャンのコートをはためかせて去っていく。風はジャンの声を鮮明にレティシアへ届けた。

「俺を撃ってみろ、レティシア。そうすれば全ては理解る」


****************************


 もはや雷神の手にセンティビートという超兵器はなかった。百足はバウアー・ドラッケンの執念ともいえる追跡に屈して、大破は免れたものの戦闘に使えるような状態ではなくなっていた。
 彼に残された武器は、熱された息を排気口から吐き出す藍鉄の機体――ブロッケンのみだった。
 ――ジェネレーター起動、FCSグリーン、脚部神経チューブに異常が認められます……補助骨にてバランスを維持……。

「3分でいい。なんとか騙し騙しで動いてもらうぞ」

 もはやバウアーがブロッケンに与えたダメージは致命傷に近かった。それでも雷神は無理矢理システムチェックを通していく。
 メインモニターが起動すると、画面には紅き巨神が大として移りだされた。
 目の前の巨神に比して、ブロッケンはあまりにも卑小な存在だった。
 神鋼重工製岩流の3倍以上はあると思われる総重量。両腕には一発でトレーサーを沈めるに足りうる威力を誇る禍々しいキャノン砲を四連式で備えている。それに比べれば、ブロッケンの武装などグランドールの重装甲からすれば紙霰のようなものだろう。
 ――ジャンはなにがしたいの……?
 自殺行為のようなジャンの行動にレティシアは戸惑う。ただ戦闘にのみ生きていた女は棒立ちしているだけではない。目の前のトレーサー――ブロッケンが起動しようとしているのを見て、何も考えずともグランドールに身体を滑らせていた。
 巨神のモニターからもちっぽけなトレーサーが眼下に移りだされた。多脚型トレーサーは装甲が所々で襤褸切れのようにへこんでいた。脚一本の力が足りないせいか、若干前のめりになっているブロッケンは杖一本で必死に立っている老人を彷彿させた。
 レティシアがその気になって指ひとつを動かせば、主武装の大口径四連キャノンで即座にブロッケンを撃墜することもできただろう。ただレティシアにその意思はない。地下シェルターにいるより安全な機体の中で様子を見るに留めていた。
 熱が入ったブロッケンは四つの脚を絡ませそうになりながら歩いていた。戦闘機動のつもりが、巡航機動よりも遅い速度しか今のブロッケンには出せない。そこには中央突破の際に、不整地でも百キロを超える速度で走りぬいた鋼鉄の機体の面影は微塵もなかった。
 グランドールが脚をあげれば踏み潰せる距離にじれったい速度で到達した時、ブロッケンは容赦なく持っている全火力をあげてグランドールに襲い掛かる。
 アルバレスト級マシンガンが無駄に薬莢を散らしていくが、グランドールはなんら痛痒を感じない。弾は目に見えない力が作用して装甲にすら届いていないようだった。

「やめなさい、ジャン!!いい加減にしないと怒るわよ」

 雷神から返答はなかった。ただ挑発するように無言でマシンガンを撃ち続けているだけだった。
 もはやブロッケンを無力化してしまったほうがいいと考えたレティシアは、武器に手をかけて悩む。グランドールは精密な射撃に全く向いていない機体だった。故に四連キャノンを撃てばブロッケンをあっというまに大破させてしまう恐れがあった。

「……今のブロッケンならパワードスーツで充分」
 
 無意味な行動を止めなければならない。レティシアがコンソールパッドを2,3叩き、座席を後ろにずらして右側面に位置するレバーを引くと、ステータス表示モニターから緑の文字が流れた。

 ――グランビット、起動。本体から分離します――


****************************

 
 グランドールの胸部の中央部分が左右に重苦しい音を立てて開いた。紅き巨神の心臓から飛び出したのは、辺りを埋め尽くすように舞っている雪と同じ色のパワードスーツ装甲だった。
 無骨なグランドールから出現した真白のパワードスーツ――グランビット。それはあたかも、ニューロノイドの無垢なる魂を体現したかのようである。
 まるで時の流れが緩やかになったように、グランビットはゆっくりと落下していく。天使が舞い降りるように、細身の体躯は地上に降り立った。おだやかな川の流れに身を任せていたと思うと、突如グランビットは急流にさしかかったかのように鋭い動作に切り替わった。地を蹴ったように見えたのに、まるで空を切ったように音はしなかった。グランビットはレティシアにしか見えない壁を跳ねるようにして舞っていく。
 この動作にブロッケンは緊急回避で距離をとるのが精一杯だった。下がりながらもアルバレストを――雷神は躊躇なくレティシアに向けた。
 グランビットは周囲に迸る弾幕を身体を捻るようにしてかわして一発も掠らせない。
 戦闘人形として頂点に立つニューロノイドの動作は狂いなく、細かな動きで振れているにも関わらず、傍目には直線的にブロッケンに迫っているかのようだ。
 ――これが覇者の動き……お手上げするか?否、まだ早い!
 雷神は本来の目的を忘れてレティシアの動きに見惚れて、胸が高鳴るのを自覚せざるをえなかった。
 装甲についた雪をトレーサーが放出する熱気が、蒸気を伴って溶かしていく。
 ブロッケンを左右に振って、グランビットに取り付かれるのを避ける。レティシアは凡なる平人なら耳と目を塞ぎたくなるような近さで弾が奔るのも恐れなかった。ふらつきながら必死で逃げる小鹿を追い回す豹のように、グランビットは動いていた。
 ニューロノイドの身体技能は人を遥かに凌駕し、美しき身体は人を妬ませ、高潔なる魂は人を卑屈にさせた。その全てを最高峰で体現しているレティシアというニューロノイドは、確かにニューロノイドであり、それ以外の何者でもなかった。
 そのニューロノイドにとって、例えパワードスーツであっても今のブロッケンを撃墜することなど、赤子の手を捻るよりも簡単だった。

「この脚を折れば、もう動けないでしょ」

 補助骨でバランスをかろうじて保っている一本の脚にグレネードを密着させて、レティシアは引き金を引いた。轟と唸り、崩れる脚。それでもブロッケンは落ちない。残った三本の脚で巧みにバランスを取り、グランビットと対峙する意思を崩さない。

「そんなにも、ワタシを倒したいの……?ジャン、ワタシのジャン。止めなさい、もう、止めて……」

 レティシアの悲痛な叫びは届かないのか。
 ただ阿呆になったようにブロッケンは銃をグランビットに向けている。そこには駆け引きなどなく、ただ目標へ向けて銃を向け、放つだけだった。
 レティシアはジャン・タークがいうように、ブロッケンを撃つことでしか止めることなどできないのではないかと思い始めていた。
 ――ジャンはやっぱり、ワタシのことを許してくれないというの……?
 方向転換もままならない状態のブロッケンの死角を取るように動き、グランビットはあっさりと壁一枚隔ててコクピットがある部分にグレネードを構えた。
 何度か引き金を引けばコクピット内部を破壊するには充分だっただろう。それでもレティシアは躊躇していた。
 ――今まで、自分に銃口を向けてきた相手を許したことなんてなかったじゃない。例え、その相手がジャンだったとしても、禍根はここで断つべきなのよ。引き金を引くのよ、引き金を…ゆっくりと指にかけて、引けば……。


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 引き金を引くという想像をするだけで、レティシアは気が狂いそうだった。嘔吐しそうな嫌悪感が全身を駆け巡り、身震いする。
 喪失に対する恐怖にレティシアは呻いた。

「いや…嫌っ……貴方を撃つなんて……失うなんて耐えられるわけがないっ!」

 壁一枚を隔てて聞こえる声は、苦悩に満ちていた。
 ――そうだ、それがレティシアの本当の気持ちなんだ。全ての感情を偽として疑っている存在自身は真であると。
 愛しているという感情の真偽。それを知らしめる為だけに、ジャンは賭けに出たのである。
 マイカ、ヤヨイ、エステルと3人の娘を想う。どのニューロノイドの娘にもあった危うさを知っていたジャンはそれを最後まで利用した。この男は最後まで人としての醜さをもってして、レティシアを受け止めようとしていた。全くの勘違いで死ぬという可能性も無論考えていた。それでもセンティビート亡き現在で強攻策などジャンにとっては有り得なかったのである。
 ジャン・タークは母をグランドールから引き離す為に必要な力を、人からニューロノイドが捨てた醜い欲と奸智で代用しようとし、事実そうした。身体条件、知能、才、徳、全てにおいてニューロノイドに劣っている男はそういった方法しか思いつかなかった。
 雪が降っていた。否、雪の形をした別の何かがブロッケンに降り積もる。雪を擬したかのような何かは、真白だった少年が大人になる為に得た偽りそのものであった。
 ――偽りに気づき、偽りを疑い、偽りを嫌った真白なままの雪。
 ――偽りを求め、偽りを信じ、偽りになった雪のような何か。
 二つは異質なのに、どこまでも求め合う。二つは異種なのに、どこまでも惹かれあう。
 グランビットは崩れ去り、パワードスーツを解いた。真白の機体から、紅のガンナースーツに身を包んだレティシアが出てくる。押し寄せるような感情の波に胸を抑えて、レティシアは存分に気づかされていた。

「そうよ、ワタシに貴方は撃てやしない。ずいぶんと狡くなったじゃない」

 感情に翻弄されて悔しそうにレティシアは言う。
 応えるようにブロッケンのコクピットが開いた。ジャン・タークは「そんなことはないさ」と惚けている。息子は母に手を差し伸べて、再度言った。
 
「帰ろう。またあの日の続きを、新しい家で歩もう」

 レティシアは恐る恐る指を近づける。もう少しで触れるというところで戸惑いながら、何もかもを断ち切るように、意を決してジャン・タークの手を取った。ひやりとした指の感触が伝わった時、求めていたものが求めてくれるという喜びにジャン・タークは一杯になった。。
 空は一色に染まり、降り注ぐ白の下でジャンはレティシアを引き寄せて抱きしめた。記憶の中の母より小さく、軽い感触と実感がジャン・タークの全身に伝わる。鼻腔には微かに清らかなセージの香りがした。
 アルテミスが与えた命題は答えを得たわけではない。それでも昔は抱きすくめられるようにされていた少年に、今は抱きしめられている。それだけで20年の孤独が満たされていた。心を開けば広がるような満足感で一杯になり、必死でここまで追いかけてくれたことがただただ嬉しかった。

「クラリネット・ターク。これが幸福であるということなのね。――貴方がこんなにも素晴らしいものを与えてくれようとしていたのに、ワタシは何一つ気づいていなかった」

 ジャン・タークを見上げるレティシアの瞳から涙が零れた。

「ジャン、ジャン、ジャン!本当に貴方は狡い。独りでも生きていけたのに、貴方のせいでワタシは弱くなってしまったみたい。帰る場所があるっていうだけで、こんなにも嬉しいの。どうしてくれるのよ」
「責任は取るよ」
「そんなこといって、女の子を泣かせるような男になってたら許さないわよ」
「……女の子?」
「うるさいッ!ジャンが迎えにくるのが遅いからいけないのよ」

 20年前と現在が結びつき、二人は再び邂逅した。目の前のレティシアは何一つ変わっていない。
 ただあの日から一人、レティシアの為だけに必要以上の早さで成熟していたジャン・タークは、失われていたはずの少年の顔つきでレティシアを迎えた。

「おかえり、レティシア」
「……ただいま、ジャン」

 ジャン・タークが20年間求めていた笑みがそこにある。レティシアの頬を綺麗な雫が伝う。
 ――刹那。
 乾いた音がした。レティシアは戦場にいた時の機敏さで身体は反応したが、動かない。ジャン・タークがレティシアを強く抱きすくめていたからだった。
 銃声がする。2発、3発。――――レティシアの目の端に、見知った顔が映る。ティンクル、あの憎きティンクルが小高い丘の上で二人を見下していた。


****************************


 エレノア湖を見渡せる周囲より頭ひとつ高い丘陵に十前後の人がいた。どの人物も身のこなしに隙はなく、細長いライフルを背に身を伏せていた。
 顔を隠している兵士達の中で、一人明らかに異質の女がいる。雪に埋もれるような銀髪は、美貌の女の冷徹な心根のようであり、事実女にマスター以外の人間に対する情などなかった。

「ティンクル様、ターゲットが外部に出ました。如何しますか?」
「予定通りに進めろ。いや、銃口は狙撃直前まで向けるな。気取られる。体制だけは整えて待機」
「了解。全員、配置に付け」

 憎悪のまなざしでティンクルはグランドールを睨んでいた。自らが推し進めていたグランドール計画、破綻による苦境。賢者はその計画によって被害を蒙った親子の気持ちを量ることはけしてなかった。

「……第7機構め、ILBMと取引するとは何を考えているのだ。グランドール、センティビート。どちらのコアも正規軍が貰い受ける」

 20年前に親子を切り裂いた張本人は、無慈悲に告げた。

「撃て」

 返答代わりに、乾いた音がした。硝煙の香りにティンクルは気分が悪くなった。
 レティシアを庇うように覆ったジャン・タークの背中に幾つもの穴が開いた。小さな穴から血が滴り、真白の雪を紅く染めていく。丸い点が地面を彩っていくのに、ジャンは崩れない。
 くだらないモノを見るような目つきで、ティンクルは二人を見下していた。ジャン・タークの背中の影から瞳が覗く。ティンクルは憤怒に満ちた眼光に射ぬかれ、身を一瞬竦める。

「ティンクルゥウゥウウウウウウウウウウウウッ!!」

 獣の咆哮がエレノア湖に響き渡る。瞬間ではあったが、発砲しつづけていたレンジャー達の手が止まるほどの怒りが込められている。――その時、大喝の叫びとは違う方向から殴りつけるように閃光が駆け抜けた。


****************************


 エレノア湖南方にて神鋼重工軍包囲網に対する、挟撃作戦が進行していた。ウラ・イートハー率いる多国籍部隊が北から呼応してヒュームハンター達の包囲を崩そうとしている。
 雷神家のマイカは依然として、無謀に――勇敢に突撃を敢行するトレーサー部隊の進軍を援護するようにしてソルカノンを操っていた。練達の後方支援能力を持つマイカはここでも戦果をあげている。
 休みなき戦いに疲労を感じながら、マイカはため息をついた。

「ふぅ……お父さん遅いなぁ」

 戦局が山場を越えた頃に、一台のジープが慌しく走りこんできた。ジープはソルカノンを見つけると、一直線に向かってくる。
 ジープのサイドドアから拡声器を持って構えている女の姿を、ソルカノンのメインカメラが拡大して捕らえていた。見たことのある顔――エレン・マクレガーは必要以上に大きな声で、喚いた。

「マイカーーーー!!雷神さんがやばめかもしれないぃぃぃいいいいい!!」
「エレンさん……?ど、どういうこと?」
「と、に、か、く!エレノア湖のほうへいって頂戴。そっちに向かったみたいだから!!」

 ――エレノア湖?
 周辺マップを開き、聞きなれない単語を検索するマイカ。現在地点から僅か北西30キロほどの距離に位置するポイントを確認すると、マイカは何も考えずに戦線から離れようとした。すると通信要請のビープ音が鳴る。
 トレーサーを小隊単位で管理している指揮車がソルカノンを見咎めて通信を要求していたのだ。

「マイカ、どうした?」

 仕方なく通信を開くと、クライス・ベルンハーケンの声がした。

「お父さんを助けにエレノア湖へ行ってくる。ネピアさんとクリルさんにはクライスから謝っておいて」
「ちょっと待って。僕達もそっちいくから」
「待てないよ!」
「マイカ!!」
 
 嫌な予感が過ぎってから、マイカはいてもたってもいられなくなっていた。後から来ると言っていた父がついていた嘘。マイカは雷神が娘たちに言い逃れのような類の逃げ口上で、嘘を使ったことがないのをよく知っている。だからこそ不安だった。娘を危険に晒したくないから、また一人でエレノア湖へ向かったのではないかと予測していた。
 ならば父は確実に困難に陥っているはずだ。だからこそ自分の力が必要であると、マイカはクライスを振り切って戦線を離脱した。


****************************


 朽ちたセンティビートからさほど離れていない場所で、バウアー・ドラッケンは迎えを待って目を瞑っていた。傍らのマイカは完全にスリープモードに入っているが、バウアーは土埃を巻き上げるようにして近づくトレーサーの駆動音で目を覚ましていた。

「ってあれ、議事堂街周辺で俺たちに襲い掛かってきた新型か?」

 岩陰から覗き込むと、フレアスカートが特徴的なマイカのソルカノンが迫っていた。――いきなり撃ってきやしないだろうな。とバウアーが心配していると、赤外線探知で人の体温を感知したのかソルカノンが頭部を、壊れたアーケロンのほうへ回す。
 期せずしてトレーサーと目が合ってしまったバウアーは、逸らすことも出来ずにいた。

「ねえ、そこのオジサン。アレの――センティビートのほうを指して――中身がどこいったか知らないかな?」

 オジサンという言葉に引っかかるものを感じながら、バウアーはどこか聞きなれた声――コイツに似ているな、とマイカのほうを見て――を聞いていた。

「あん、初対面の割に――そんな気がしないが――失礼なやつだな。……まあ、いいさ。百足の中身はエレノア湖のほうへ向かっていったぞ」
「やっぱりそっちのほうかぁ。お楽しみのところゴメンネ、オジサン」

 どこか刺々しいソルカノンからの声に、バウアーは冷や汗を流した。

「おい、俺のことロリコンかなんかと勘違いしてないか?こんなちんまいのに手を出すわけがないだろうが!」
「ちっちゃいなんて、失礼だよ!それに人の趣味はそれぞれなんだから、需要あると思うな~」

 妙なやつだな、とバウアーが思っていると、どこからか銃声がした。――エレノア湖の方か?

「……いかなくちゃ」

 ソルカノンは銃声を聞いて、エレノア湖のほうへ去っていく。自分には関係ないとバウアーが居眠りを決め込もうとした矢先に、3台の装甲車が停まる。今度は通りすがりではなく、この場所を目的としてやってきたようだった。

 ――来客が多いな、次は正規軍のレンジャーかよ。おちおち眠ってる暇もないじゃないか。

 出来るだけ関わり合いにならないように、バウアーはそっと息を潜めた。


****************************

 バウアーが高みの見物を決め込んで数十分。
 無残に撃ち捨てられているセンティビートの周囲には立ち込めるような血の匂いが漂っている。ティンクルが引き連れていた兵士達と同じ装備をしている肉塊が数体寝転がっていた。
 中央には頬に一滴、返り血を浴びている男が煙草を燻らせて楽しんでいた。

「自分を賢いと思っている馬鹿ほど、手に負えないものはないな。平気で強盗しやがる」

 男は吐き捨てて煙草を踏みにじる。そこに佇んでいたのは中央突破作戦前にいつのまにか姿を消していた龍之介だった。
 龍之介は死体の合間を抜いて、センティビートを背にした。

「龍之介さん、どちらへ?」
「ちょっくら落し物を拾いにいってくる。そいつは中身だけ抜いといたら綺麗サッパリ処理しとけよ」
「ああ、例のやつですか。お気をつけて」

 どこか間の抜けた挨拶を可笑しく思いながら、龍之介は防寒対策に着ているコートのポケットに両手を突っ込んだ。
 ――気をつけなくても、辿り着くころには全て終わってるだろうさ。
 エレノア湖から聞こえてくる銃声に、漠然と龍之介は終わりを見ていた。


****************************

 

 ――ったく、最後の最後でやっちまったか。
 咄嗟の殺気に気づいたジャン・タークは、目の前の母を抱きしめる。その巨躯で今なお、レティシアを庇い続けていた。血の気が失せて、徐徐に足も踏ん張りが利かなくなっていた。
 ――才なき身にしてはよくやったが、ちょっとばかり運が足りなかったな。
 思考が霞んでいく。身体は重くなっていく一方で、何が起こっているのか確認する力も残されていなかった。
 ――困ったな。あいつら……絶対怒るだろうな。……一人でなんとかなるとは思うけど、やっぱり心配だぜ……くそ、撃たれすぎたか。頭が回らねえ。停まってしまう前に……いわ、言わないと……。
 今のジャン・タークには口を開くのですら重労働だった。もう目の前にいる母の存在すら焦点の定まらぬ瞳には映っていない。

「レティシア……すまない……マイカのことを……」

 それだけを囁くように言い、ジャンは崩れ落ちた。
 レティシアが何かを必死で叫んでいる。訴えるような音が振動として微かに感覚を打った。
 もはやジャン・タークにはその音を声として認識することはできなかった……。

 

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