雷神家の絆 26話 高度17 「過去へと至る道」
その1です。
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噴射質力を段階的に下げて、コンクリートへ静かに降り立つ機体があった。深い緋色のトレーサーは傷一つないものの、機体がぐらついたりとくたびれた様子を見るものに印象づけた。
左右に長く伸びた尾翼に鎖犬の部隊章がマーキングされていた。それは執拗に雷神を追い続けていたハウンドッグ隊長バウアー・ドラッケンのアーケロンだった。神鋼からILBM領のコロシアム南西に位置するトレーサー基地まで、多国籍部隊が突撃作戦を敢行している間にやっと戻ってきたのである。
バウアーがコクピットルームから降り、怒気で周囲を威圧しながら一人の哀れな男に近づいていく。迫られた男は逃げ出したい気持ちを抑えながら――なんで私がこんな目に――踏みとどまっていた。
「おい、さっきのはどういうことだ。説明しろ」
「ですから何度も申し上げたとおり、今回の任務は中止して通常業務へ戻るようにと本社からの通達が」
「くそっ、くそっ、ここまで来て上は何を考えてやがる」
心底悔しそうに地団駄を踏むバウアー。逆に彼のマイカは物事に固執しすぎているマスターを見ているので安堵としていた。何しろこの仕事についてから、情緒不安定だった上に、つい先程の戦闘では砲撃一発が掠っただけで逃げてしまう始末だ。
「君がバウアー・ドラッケンか」
さっさとシャワーでも浴びたいとマイカが考えていると、質の良い生地で出来たスーツに身を包む一人の男が二人の方へと向かっている。黒い肌とスキンヘッドの組み合わせはマイカからすれば常人ではありえないという偏見を抱かせた。事実、その男は常人などではなかった。
「私から直接説明させてもらおう」
バウアーは話しかけられてから男の存在にようやく気付いた。
「アンタ……誰だ?」
「君が契約している会社のトレーサー運用室の専務をやっている、ルトバキア・サッズという」
「ルトバキア・サッズ……?ああ、なるほど。アンタが噂の黒豹か」
実質的には上司であってもバウアーは口の利き方を改めなかった。敬意の欠片もそこにはなかった。ルトバキア・サッズと呼ばれた男は溜息をつき、くだらないといわんばかりに「そう呼ぶやつもいるらしいな」と言った。
「いや、そんなことはどうだっていいんだ。何故、中止になったのか納得の行く説明をしてみろ」
ルトバキア・サッズは懐からトランプ大サイズの記憶片を取り出した。
「これは基地指令から聞いたと思うが、その内容を記録した正式辞令だ……受け取らないのか?」
「そいつを受け取るかは話を聞いてからだ」
「妙な形式に拘る男だな、君は。いいだろう、こちらも雑用はさっさとすませたいからな」
求めるものを雑用呼ばわりされて、疲れから感情の制御がきかなくなっているバウアーの頭に血が昇ろうとした。そこでマイカが背後から裾を引っ張って、抑えろといわんばかりにしていることに気付いてバウアーは拳を握り締めるに留めた。
サッズはその仕草に気付いていたが、口を歪めただけで何も言わず、話を始めた。
「君が追っているILBM新型機について、始めはILBM幹部会議にて破壊せよという方向で話がまとまった。そこで君達ハウンドドッグに声がかかったわけだ。しかし、あの機体がILBMを抜けて議事堂街に入り、更に多国籍部隊に編入した時点で話は変わったのだよ。もはや新型機の露出が避けられぬとあれば、存分に運用データを取るべきだという声に変わってね――」
「それで俺らはお払い箱ってわけか……ふざけるな!!」
一度下がった血圧もサッズの言を聞くたびに上昇し、ついには切れた。バウアーは握り締めて堪えていた拳を怒りのままにサッズの顔面に叩き込む。鍛え抜かれた軍人の右ストレートは綺麗に大の大人を宙に飛ばした。
話は終わりだといわんばかりに、それからバウアーはサッズに構わなかった。
「マイカ、すぐに出るぞ――おい、そこのやつ、アレの弾と燃料を満タンにしとけ」
「あーあ、ボクし~らないっと……」
マイカは空想に終わったお湯を存分に浴びる感覚と決別して、渋々とアーケロンへと歩いていった。基地に到着してから僅か三十分弱でバウアー・ドラッケンは北へ、センティビートを執念で追おうとしていた。
硬く冷たい地面に寝そべり出発を見送ることになったバウアーは頬を摩りながら「これだから辺境人は…」と情けなく呻いて、辞令を記した記憶片を投げ飛ばして壊してしまったのだった。
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雷神家の絆 26話 高度17 「過去へと至る道」
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砲兵部隊の陣地に迫る一匹のアサシンバグがいた。それを地を転がるように追跡している球体があった。半径1メートルほどある灰色の球体は、目標を認めると破裂して欠片を飛ばした。工兵がアサシンバグ集団を警戒してばら撒いていた対トレーサー用自走機雷「ボムスフィア」の爆発を受けてよろめく緑色のアサシンバグ。一撃で撃破することは適わなかったものの、充分すぎる隙をベリアルは生かして機関銃の引鉄を引いた。――比喩であり、トレーサー武器には引鉄などない。トレーサーとリンクして発射されるタイプだった。
「ふう……。コアを残せないのが惜しいが、だいぶ減ってきたな」
ネピアは疲労を吐き出すように一息つくと戦場を見回した。元トレーサー03小隊の面々はPS歩兵隊との連携で、多国籍部隊所属砲兵中隊の陣地に迫っていたアサシンバグ集団の数は大分減っていた。今も背後から対トレーサーロケット砲を構えたPS兵がバグタイプ1体に弾幕の壁を張って対抗していた。ソルカノンの支援と塹壕を構築して守備しているPS兵がバグの足止めをして、そこを機動力のあるトレーサーで確実に叩いていたのである。
この戦い全体においてはトレーサーの突撃が非常に目立っていた。しかし、ウラ・イートハー中将は限られた戦力を全力投入する為に、工兵を走らせて塹壕を構築し、機雷を設置させていた。これがPS歩兵を生かすことに繋がり、HHによる両翼からの攻勢を持ちこたえさせたのだった。
「おい、撤退していくぞ!!」
PS兵の一人が大声をあげて仲間に知らせまわっている。もはやこの地点の強襲を諦めたのか、アサシンバグは波が引くように去っていこうとしていた。
僅かなトレーサーとPS歩兵しか持たない彼らには最後の一匹が撤退するまで気を緩めないようにすることしかできなかった。
その中、元03小隊メンバーであるクリル・ファクターは逃げるHHを一匹だけ破壊し、撃墜スコアをネピアとタイにしたところで帰ってきた。緋色の機体はセンティビートの周りを一周して、通信受諾を要求していた。
雷神自身が繋ぎ、クリルは元隊長の顔を認めると閉口一番「旦那、俺たちはどうするよ」と訊ねてきた。
「もう少しでウラ中将がここを通過するだろう。指揮所と合流してお前らは先にいっててくれ。こっちは補給部隊に追従してるエレンを待って弾薬の補充と……ヤヨイを降ろしていかなくちゃいかん」
雷神が顔を左に向けると、座席に深く腰掛けて気絶しているヤヨイの姿があった。エステルは姉を介護するように支え、ハンカチで額の汗を拭っている。
雷神は苦々しい表情を浮かべ、ディスプレイに視線を戻すと、マイカが割り込み通信をしようとしていた。
マイカがモニターに身を乗り出すようにしている為か、歪んで中心部分が間延びしたように雷神には見える。雷神は表情を消して何事もない普段の顔を作った。
「ヤヨイちゃんは大丈夫なの? ボクも残ろうか?」
そんな心配でたまらないという風情の長女を雷神は遮って「少し無理をしすぎたようだな……。まあ、エステルもついているし身体に異常はないみたいだから、休ませればなんとかなるだろう。オマエの支援がないとクリルもネピアもあぶなかっしくて見てられないから、ついていってやれ」と提案のようにして普段より多く喋っていた。
「……了解、マイマスター。あ、ウラ中将も来たみたい。エステルちゃんもヤヨイちゃんのことよろしくね」
「マイカ姉さんも無理しないで」
「ありがと。それじゃあ、いってくるよ」
戦の合間の挨拶を終えると、マイカの顔が消えた。灰色のモニターを背景にノーライン――無通信状態の文字が赤く映えていた。雷神はその文字を見つめ、指を組んで頭の後ろに廻して座席にもたれていた。
横目でエステルはそんな父のことを訝しげに見ていた。
「マイカ姉さん、いっちゃったね」
「……ああ」
雷神とエステルはお互い、顔を見ずに話していた。
「やっぱり、お父さんはズルイ」
「エステルは物分りがいいな、助かる」
マイカに語る時とは逆に、エステルには言葉少なくして解るだろうと雷神は思っていた。ただし何気なく言った父の一言にエステルは複雑な想いを抱いていた。
――そんなこといわれたら、これ以上何もいえないじゃない。本当に……お父さんはズルイ。
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「閣下、百足のガンナーから通信要請が出ていますが如何しますか?」
「ジャン・タークか。繋いでくれ」
「了解。通信受諾しました」
通信兵が暗号を解除すると、通信が繋がれた。防諜の為、指揮車に搭載されている高度暗号通信機器によって解析されている映像荒い。個人を認識できる画質ではないものの、映像の男の右繭から頬に奔る傷で個を間違えようも無かった。ウラ・イートハーがヘッドホンの片側だけを耳に当てると「大佐殿」という声が聞こえる。ウラは誰何することなく、通信マイクの位置を調整して返答する。
「如何にも安心したという顔をしているぞ、少尉」
「ははっ、ウラ大佐にはかないませんな」
はっきりと認識できたわけではない。ただウラは雰囲気から察しただけだった。そうとわかっていても元少尉は苦笑いでごまかすしかなかった――ウラには口元を多少歪めたようにしか見えなかった。
「慌しくてすまないが、どうしたんだ?」
「うちの娘達を基地のほうに送り届けていただけるということで、礼のほうを」
「気にするな、あっちに直接報告させないといけないことがあったついでだからな。今回の件では借りもできた」
「はっ、恐縮です。ついでといってはなんですが、エステルのことを宜しくお願いします」
「――行くのか?」
雷神はウラの問いに沈黙で答えた。ウラ・イートハーはノイズの酷い映像から、向こう側にいる人物が揺るぎのない瞳で――覚悟でいるのだろうと予想した。それは止めることの無意味さをウラに教えていた。
「親子共々、私の下で雇ってやるから無事で帰ってきなさい。……それに、君には言っておかなくてはいけないな」
一つ息を吸い込む間をつくり、ウラは告げる。
「――シスターウェルニーが突撃の際に逝ったよ。お悔やみ申し上げる」
淡々とウラはどんな感想も交えずに事実を報告した。突然の告白に、雷神は天井を仰ぎ見ることしかできなかった。
「ははっ、もうカイル・ドライトンに顔向けできないな」
自嘲気味の乾いた笑いが悲しくセンティビートを包む。ウラの一言だけで、ウェルニー・ドライトンはジャン・タークの心中から死んだのである。ジャンには多量で複雑な感情を、悪癖ともいえる笑って誤魔化すという行為でしか表現できなかった。
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