RGタイムズとヨネヤマの危機
その5
三日探偵②
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コールが七つ鳴ったのを数えて一度、通信回路を切断する。メモに記されている数字の羅列を携帯モジュールに打ち込み、呼び出し音に耳をすませる。1回…2回……3回……そして9回無機質なコールが流れた。
「もしもし」
繋がった。受話器から聞こえたのは落ち着いた低い声だった。
面倒くさいやりかたではあるが、相手は用心深い。紹介状代わりの暗号が先ほどの7回コールをした後に切り、相手が9回目のコールの際に通信回線を繋いだ時にようやく仕事の話を始められるというわけだ。
「ご無沙汰してます、ニコライさん」
今、ボクが通信しているのは探偵を生業としている男、ニコライ・カラマゾフである。
「その声は……ルーレンベルグ研究所のクライス所長か。廃棄街掃討戦で行方不明になったと聞いていたが、無事だったようだな」
「ええ、なんとか。……そちらの話は追々するとして、組織とは関係なしに個人的に頼みがあります」
「ほう、せっかちだな。……いや、いい。どんな仕事か話してくれ」
「先日、オーサカシティーで起きたヤクの売人がフリーライターの手によって殺害されたという事件をご存知ですか?」
「知らんな。そんな事件はこの世に山ほどある」
その通り。お世辞にもGVWの治安は良くない。廃棄街やゴーストタウンといったスラムを形成している地域なんかは、非合法の合成ドラッグを扱う裏の人間の死など、ありふれ過ぎていてニュースにもならないくらいだ。ニコライ氏が知らなくても無理はない。
「資料のほうを添付してメールで送りました」
「目を通しておく……繋いだまま5分時間をくれないか」
「わかりました。ごゆっくりどうぞ」
一旦、話を打ち切り、ボクは深く硬い椅子に腰掛けた。
そこで、小さな温かい手のひらの感触を左肩で感じていた。後ろを振り向くまでもない。
「誰と話してるの?」
正体は満腹になって満足しているリリスである。先ほどまで二人で話をしていたようだが、いつのまにやらレティシアさんはイビキをかいて眠りこけている。
「ヨネヤマさんの話。ちょっと静かにしててね」
「ふ~ん」
つまらなそうにして、リリスはボクの首に手を回す。ほのかな石鹸の香りが辺りを優しく包む。まだ少し濡れている髪が当たって、首筋が冷たかった。その冷たさが心地よく、会話もない気だるい空気に身を任せていた。
「待たせたな」
夢の中にいるような浮遊感を味わっていたが、ニコライ氏の震えるような低声で醒める。恨めしく思いつつも節操のない自分に反省を促し、ボクは返事をした。
「この事件について何をしたいのか、聞かせてもらおうか」
ほっと一息をついた。向こうは乗り気のようだ。
「はい、その事件の真相を……といいたいところですが、容疑者の釈放の助けになるような証拠を見つけて欲しいのです」
瞬間、沈黙の帳が落ちた。おそらく、ニコライ氏はボクの発言を噛み締めていることだろう。通信機越しでなければ、煙草に火を灯していたかもしれない。
「……都合の良い部分だけ判明すればいいということか。やけに素直な依頼だな」
彼は全てを飲み込んでいた。話が早い。クロでもシロになれば、真相を知らなくてもよいという意図を明確にしておく必要性があった。
リリスの腕に力がこもる。少し苦しい。
「いいだろう。その依頼、引き受けた。ただし俺を拘束できるのは3日間だけだ」
ボクは苦笑して答えた。
「了承しています」
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「話してくれるよね?」
詳細を詰めて通信が切断されると、リリスの垂れ目が好奇心の文字に溢れており、耳元にそっと囁かれた。くすぐったい。身をよじって正面に向き直ると、幼い顔つきの割に彫刻のように無駄のないすっきりとした頬が湯上りで紅潮しているのが目に付いた。――この瞳を前にして秘密主義を貫いた”あの人”は立派だったな。無論、ボクに隠し立てする意図などないし、彼女に対して抗うことなどできない。
もっとも心の裡を全て明かすのは、微かな羞恥心が眩いばかりの太陽に怯えるように避けていた。現在のリリスが最も忌み嫌うずるさかもしれないが、小心者の性は一朝一夕で治せるものではない。だからボクは曲解して説明しようと試みた。
「ヨネヤマさんを救う正義の味方を雇ったのさ」
もちろん彼女が噴出したのは言うまでもない。しらけなかっただけ上出来だ。
「なにそれ、そもそもなんで記者さんを救う必要があるの?」
「あれ、レティシアさんから話聞いてないのかい」
「話?……レティシアはなんかグダグダ、どこの球団が優勝するかとか語ってただけだよ」
ため息をつきたくなった。ボクらにとっての一大事も、レティシアさんにとっては虎マークのベースボール球団が今期優勝するかどうかのほうが重要なのだ。味方になってくれれば頼もしいが、レティシアさんはあまりにも気まぐれである。
かくかくしかじかと、ヨネヤマさんの周りで起きた事件と、ボクらを取り巻く状況を説明する。その話を聞いて、リリスのお節介の虫が騒ぎつつあるのは顔を見ればわかった。困ったものを見れば手を差し伸べずにはいられないのは彼女が持つ性なのかもしれない。
「クライスに探偵の知り合いがいたんだね」
「うん。革命軍時代にボクが働いていた研究所で、たまに三大企業の技術を盗むのに雇ったことがあるんだ。ただその人が面白くてね」
そう、ニコライ・カラマゾフには異名がある。
「期間限定で5万FG。それでしか依頼を受けないんだ。……しかもその期間は年々短くなっている」
「期間限定で5万?ものすごい高額じゃない」
リリスは子供っぽい仕草で唇を突き出して不平そうに言う。
「それでも受けた依頼は確実にこなす。だからこそ彼は有能なんだよ」
「……ふーん。ところで期間限定って具体的には?」
「今回は3日っていってたね。彼がそういうからには、ヨネヤマさんは3日後には釈放されているはずさ」
……クロでもね。とは心の中で付け足したことである。ヨネヤマさんを信頼しているが、裏切りはボクの育った街では日常茶飯事だ。常に警戒してしまう癖があるのは仕方が無いだろう。
「たったの3日?本当に大丈夫なの?」
嫌な予感がした。背筋に冷や汗が一つ流れる。
「ボクの知る限りで、彼が依頼をしくじったことは一度もないよ」
無駄な気はしたが、気休めをいっておく。ただそれが彼女の決意を後押しすることが読めないのは、まだ若輩者故の未熟さだろう。
「……ねぇ、クライス。決めた。ワタシ達もヨネヤマさんを救う為にオーサカシティーにいこ?」
やっぱり、と思わず肩を落とす。金だけ出して、安全を買うようなやりかたはリリスのお気に召さないらしい。己はともかく、リリスの安全を第一に考えるボクとしては、無駄と知りつつも抵抗しようと口を開きかけ――そこでリリスは人差し指をボクの唇の前に立てて「余計なことはいいっこなし、だよ」と右目でウィンクをした。長い睫に見とれながら、いつのまにこんなズルい技を見に付けたんだと驚きを隠せず、ボクは両手をあげて「わかったよ」と降参した。
「訓練をさぼるとレティシアがうるさいから、朝一でこっそり出かけようね。……三日探偵の助手っていうのも面白そう」
「三日探偵?」
「そ、三日で事件を解決するから三日探偵」
安易なネーミングながら、妙に胸の高鳴りを感じずにはいられない。彼女が僅かな期間で劇的に成長しているというのに、ボクは子供っぽい冒険心を楽しく感じている。……構わないさ、彼女が歩む方向にボクの進むべき道があるのだから、ついていくだけさ――。
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……続く
次回
「常識という名の偏見」