雷神家の絆 第21話 高度13 「星瞬く夜空へ叫ぶ者」
蛍光球の僅かばかりの光が夜空に煌いている。仰ぎ見れば星が闇夜に飲み込まれまいと、懸命に僅かばかりの灯火を絶やさんとしているかのようだ。それらの光景が吐息と共に白い煙によってぼやけていく。
雷神は佇んでいた。煙草を吸った後は喉が焼けつかんばかりに乾く。こんな時に究極の火酒であるタランチュラオブフレイムを流し込みたくなる――駄目だ。酔っ払いの戯言では誰も振り向かない。素面で騙れる言葉が必要なのだ。
ジャンは温度が下がったことで口から漏れ出る白い息と、紫煙が混ざり合って出来上がった複雑な模様をぼんやりと眺めている。
「本当にいいのか?こんなことをしてたらハウンドドッグの連中に嗅ぎ付けられるぞ」
そんな雷神に四角いマイクを放り投げる龍之介。軍用に近いコートを羽織っている雷神と違い、龍之介はTシャツにジップを開いたジャージとひざ部分が破れたジーパンというラフな格好だった為にひどく寒そうだ。ぼやきのような一言は冷気に対する文句も含まれている。
「構うものか、どうせ動いてたら見つかるんだ。……それより準備はできたのか?」
赤く燃ゆる煙草の先端を龍之介に突きつける。突きつけられた龍之介はイエスの意で親指を立てて応えた。
「もちろん。いつでもいいぜ」
「さてと、やるか」
さも面倒くさそうに携帯用灰皿に灰を落として、居住まいを正すジャン・ターク。雷神はマイクを口元に寄せ、クランクを切るかのように手刀を空いてるほうの手で上から下へ切った。
「あーっ、マイテスマイテス」
龍之介は両手で丸を出す。成功だ。雷神はその仕草を横目で一瞥して続けた。
「お前らは今、どこで、何をしている?」
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雷神家の絆 第21話 高度13 「星瞬く夜空へ叫ぶ者」
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2月14日午前9時。神鋼重工管轄、地熱発電事務所にウラ・イートハー率いる神鋼重工第2軍は陣地を構えている。騒々しい叫びに満たされた場所で、指揮官はそこから刻々と変わりつつある戦況に指示を出しながら状況の推移を見守っていた。
「速やかに整然と転進せよ。前線を下げて態勢を立て直す。第3から第7発電所の防衛放棄を許可する。繰り返す、速やかに転進せよ」
ウラが出した指揮下の軍に出した命令は控えめに見ても時間稼ぎ以上の意味はない。どうにか前線を縮小させ、押し潰されないようにする為の苦肉の策だった。
傍目には淡々と雑務をこなすが如く、ウラは軍を動かしている。脳内ではこの転進によって失われるであろう数をただの数字として予測し、どうするかを考えていた――なんという傲慢。人命の重さなど現在の彼女には頭にない。戦線の各所であがっているであろう悲鳴は意図的に耳を塞ぎ、ただ淡々と何人を生き残らせることができるかのみに集中していた。前述の命令のみでも試算で死者は万人単位で増えるであろうことをウラは知っている。人の命が均等であると考える者達から見れば、ウラに非難は集中したであろうが、神鋼第二軍司令部にそんな愚か者はいなかった。
傍らに立っている雷神家のエステルは黙ってウラを観察している。そんな少女の視線を感じながらウラは右隣に座っている参謀に声をかけた。
「参謀、命中効率が低下しているが辺境からの電力をもっと前線に回せないのかしら」
「さほどの効果は見込めませんが、実行させますか?」
「……司令官の考える話じゃなかったわね。ごめんなさい、忘れて頂戴」
ウラの疲れや苛立ちに気付けるのは、戦場にいるオイラー大佐――現在は神鋼第二軍機甲師団指揮官――のみだろう。それほどに彼女は慣れきった英雄としての芝居を演じきっていた。
エステルも含め、軍全体にはウラが何らかの逆転策を講じてくれるという期待に満ちている。
確かにウラに策がないわけではないが、それはけして奇策などではない。逆に比較的堅実で大掛かりなものであるが為に、軍規模で実行するには困難を極めるものだった。
(といっても、今のまま推移していけば成功率は2割に満たないわね)
足りない。全てが足りない。こめかみを押さえたくなるほどの苦痛と、吐気を催すほどの逃げ出したくなる感覚が全身を駆け巡る。彼女の背には全人類4億の生命が託されている。全盛期の十分の一以下になったとはいえ、感覚すら麻痺してしまいそうな膨大な数字に平然としていられる人間がいるだろうか。否、ここにいた。
気遣わしい幼い少女の視線はウラから動かない。ウラ・イートハーが身悶えしたくなるような感覚の中で選んだ表情は――笑みだった。それは窮地に陥った百戦錬磨のガンナーが阿呆のように選ぶ形。元ガンナーであるウラ・イートハーも例外ではない。
次いでウラはエステルに対して手招きをした。疑問符を浮かべ近づいてきた少女に対して、ウラは更に自らの耳もとに向けて人差し指を向け、もっと近づくように促す。ゆっくりと吐息を感じることのできる距離にまで傍に呼んだ雷神家の末娘の耳元に、ウラは話しかける。
「私でもこの状況はちょっと厳しいわね」
三女は指揮官の発言に身を硬くする。よもや降伏宣言の愚痴にワタシを呼んだのだろうかという懸念が過ぎる。
「でも」
そんな少女の懸念は早計であった。ウラは否定を重ねて、エステルの耳朶をウラの声がくすぐった。
「幸いなことに、私は独りじゃないからなんとかなると思うのよ。ねえ、エステル――貴方は独りなの?」
瞼を瞬かせてエステルはウラの発言が全身を駆け巡るのを感じた。胸元に硬く握り締めた拳を手繰り寄せ、瞳を閉じれば浮かぶ記憶。
「私が考えている作戦は数字上で二割に満たない成功率しかないけれど、二割を掴み取れるだけの自負がある。それは独りでは無理かもしれないけどね。エステル、もう一度問うわ。貴方は独りなの?」
瞳を閉じれば浮かぶ、どこまでも幸せな記憶――エステルの中でも雷神家はまだ終わっていなかった。
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人一人が漸く通れるほどの筒状の通路を通って出た道は、想像に反して薄暗かった。ヤヨイは額にかかる艶やかな黒髪を払いのけると、僅かな蛍光灯のみが周囲を照らしていることを確認して身を非常出口から乗り出す。疎らな感覚でバラックが3軒ほどたっているが、窓から明かりはない。
神鋼重工とILBMが管轄境界を主張するラインの神鋼よりに位置する場に次女は立っていた。寂しげな光景を一瞥して、ヤヨイは嘆息をひとつ。
「こんなところで足止めを食うなんて、マイカ姉さんに怒られますね」
第一級臨戦態勢に突入したGVWにおいて、安全の為にトライアングルウェイは運行停止になっていた。それに伴い、GVW地下鉄道公社は乗車中の客に対して近隣のシェルター行きバスを非常出口付近に手配していた。
多数の乗客は思い思いのところに腰掛けて、バスが来るのを待っている。人の声が絶えないのは喋ることで、GVWの状況を把握できない不安を掻き消す為だろう。
ヤヨイがすぐ傍のベンチに腰掛ると、旅の同行者となったウェルニー・ドライトンも静かに腰を下ろした。
ウェルニーは胸元の十字架を両手で包み込むようにして持ち、瞼を閉じて瞑想しているかのようだ。厳粛なまでの清楚さあふれる佇まいなのは、彼女が敬虔な神の徒であるからだろう。
「ヤヨイさん、どうかしましたか?」
化粧っ気ひとつないのに染みひとつない肌に見とれていたヤヨイは、目を瞑っていたはずのウェルニーからの声に心臓を一拍ほど弾ませた。その一泊の間においてシスターは瞳を開き、微笑を携えてヤヨイの瞳をじっと見ていた。
まるで何もかもを見透かそうとしているウェルニーの視線に戸惑いながらも、ヤヨイは口を開く。
「ウェルニーさんはどうして、父の頼みごとを引き受けたのですか?どう考えても厄介な話だとしか思えませんが……」
「どうして?面白いことを聞くのですね」
ウェルニーの口元は微笑みのまま、当然のことを聞かれたので当然のことを答えるといった感じで返す。
「ジャンはいちおう義理のですけど私の弟でもあるんですよ?リオリーが亡くなった今でもそれに変わりはありません。可愛い弟が困っているから助けてあげる。ただそれだけのことです――これだけでも理解してもらえますか?」
目の前のシスターは簡潔ながら、人にはそれだけで理解できないかもしれない理由をニューロノイドの少女に語った。
クラリサには理解できなかったかもしれない。だが雷神家の一員であるヤヨイにはそれだけで十分だった。
――もし、マイカ姉さんが困っていたら?エステルが悩んでいたら?姉妹が自分に助けを求めていたら?
考慮するまでもない。雷神家の次女にとって答えは明白だった。
「はい、充分すぎる動機だと思います」
「ふふ、それにしても困った弟ですよね。久々に連絡してきたと思ったら、直接会わずにお願いだけするのですから」
言動とは裏腹に嬉しそうなウェルニーを見て、ヤヨイはこの人なら信を置いても大丈夫であると信じることができた。ならば覚悟に基づいて動こう。例えここで人生を終えることになろうと、雷神家を守り抜くという決意。それはただ漠然と生き永らえていたヤヨイにとって、確かな変化だった。
「ウェルニーさん」
己の心を知ってもらう為、ただ瞳を、奥深く底まで覗き込むようにして理解を求める。ヤヨイはただ真剣にウェルニー・ドライトンに、力強く発音して言葉を紡ぐ。
「私に力を貸してください」
無言で周りを鎮め、対象を包み込むようにして頷くウェルニー。何もかもを抱擁するような女神は慰撫するようにヤヨイの頬を撫でる。
思わずヤヨイは涙を流しそうになった。目の前の聖女に自分を託したということは、それだけ父たる男が娘を大切に思ってくれていたことをどんな言葉よりも雄弁に理解できた。
全てを理解していると語りかけるような微笑は問いかける。
「もちろん、その為に貴方の元に来たのですから。何を必要としているのですか?」
「議事堂町に辿り着く為の足が欲しいのですが、適当な車両を一台ほど」
「あら、車両なんかでいいのですか」
「え?」
予期せぬウェルニーの返答に疑問を浮かべるヤヨイ。
次の瞬間、ウェルニー・ドライトンは突如ベンチから立ち上がり右手を掲げて指を鳴らした。乾いた音が静かだった辺りに響きわたる。急激すぎる動作に意表をつかれ、ヤヨイの鼓動も跳ね上がった。周囲の乗客も何事かと、ウェルニーのほうに視線を集めた。
「トレーサーなんて如何ですか?」
相当の重量物がアスファルトの道路を砕くような重苦しい地響きが聞こえたのはその時だった。
のそりと一歩を踏みしめて、姿を現した鋼鉄の巨人は十字の柄を持つ剣を握り締めている。まるでそれは中世の騎士の姿であり、君主に忠誠を誓うかのようにその場で跪いた。
「シスターウェルニー。お迎えにあがりました」
トレーサーの外部スピーカーから聞こえた透き通るような声はうら若い女性のものだった。
「そういえば紹介が遅れました。聖堂騎士団副団長ウェルニー・ドライトンといいます。以後お見知りおきを」
――聖堂騎士団。GVWにおけるもっとも強大な宗教勢力の外部武装組織であり、宗教組織が持つ数少ないトレーサー戦力として有名な部隊であった。
ヤヨイはびっくり箱を開けたかのように呆気にとられていた。対してウェルニーはいたずらに成功した幼子のように喜色満面である。
(……やられた)
先ほどまでの厳粛な雰囲気は擬態だったのだろうか。このシスターは聖母というよりも、クラリネット・タークと同類の悪戯好きなのではないかとヤヨイは訝しがった。
恐らく今のヤヨイを見れば、父もお得意の奇襲に成功したと喜んだだろう。
「ご苦労さまです。さあヤヨイさん、いきましょう」
ウェルニーが悪びれずさし伸ばした手は小さいのに、広く大きく見える。ヤヨイは迷わず手を取り、立ち上がった。
――運命とは小心者を翻弄するのが得意で、けれど温かさに満ちた世界のようだ。
以前とは変わりつつある自分を認識して、ヤヨイは自分で知らぬ間に笑みを浮かべていた。
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卓子が一つと事務用のパソコンを置く為の机があるだけで手狭に感じられる部屋に、3人も人がいれば窮屈だった。
その部屋の中でパイプ椅子に深く腰掛け、行儀悪く卓子に足を投げ出してクロスワードパズル集を解いている男がいた。彼が着ているタンクトップは細身の体躯ながら鍛え抜かれた筋肉を顕わにさせている。いかにも暇で眠たそうな男はILBM機甲師団所属03小隊ガンナーだった、クリル・ファクター軍曹である。
「実に腕をあげたものだね、イリエ君。もう一杯紅茶をいれてくれるかな」
紅茶を空にしてイリエ・アンガス伍長に話しかける男がいる。クリルの傍らには同じ小隊所属だったネピア軍曹が豪奢な金髪を揺らし、午後のティータイムを愉しんでいた。
ネピアが掲げたティーカップを見て、イリエはティーポッドにお湯をいれる。
「はーい、少々お待ちくださいませ」
まるで小間使いのように反応してイリエは適切な温度で見事な紅茶を入れてみせる。あまりに熟練した動作は03小隊にいたときの成果――軍人として、というよりOLのような――だった。
全て過去形で語られているのは03小隊がILBM内においてすでに存在しておらず、それぞれ違う部隊に飛ばされる前の休暇中だったからである。そんな彼らがわざわざ03小隊に割り当てられたILBM本社内部の一室――小隊規模とはいえ、独立独歩の気負いがある傭兵達の部隊だったので扱いは従来の軍隊より格別に良いといえる。その一つが小規模ながら独立した事務室を構えている理由だった――に集まったのには訳がある。
「それにしても、ニルさんも急に集まれだなんてどうしたんでしょうね」
この場にはいない03小隊隊員であるニル・ストラクセン・アンダーソンはこの部屋にいる3人に召集をかけたのである。従う義務は何一つとしてなかったのだが、友人であるイリエはともかく、マイペースのクリルも、自分本位のネピアも集合した。
ニルはこの日の午後11時に、指定したチャンネルにラジオ無線を繋げと指定している。その時間まで数分となかった。
「イリエ君、この部屋に来たなら部隊訓示を守ろうじゃないか。はいっ!」
「あ、あわてずさわがずゆっくりと!」
「よろしい」
ネピアはイリエの様子を面白がって朗らかに笑った。赤面しながら、イリエは無線チャンネルをパソコンをいじって、指定のチャンネルに合わせる。
数十秒ほどノイズが続いた後に鮮明になり、小さな声で「テステス」と聞こえる。繋がったのだろうか。
クリルも視線はクロスワード集に留めたままだったが、回していたペンは止まっている。雑音の後ほどに人の声がした。
あっ。と呻いたのはイリエだった。他の二人は静を持って次の言葉に注目している。その声は彼らにとって聞き覚えのあるものだった。過去に部隊におり、隊長だった男の声。
威厳を伴う男の声は、名乗ることなかったが彼らにはわかった。
それは挑発のような一言から始まる。
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「お前らは今、どこで、何をしている?」
問いかける声は低く、しかし聞くものの注目を掴むのに確かな発音だった。ここで一拍置き、ため息のような音をマイクは拾う――実際はタバコの煙を吐き出した際のものだったが。
「戦いの場にいない荒くれども、救いのないガンナーども、恐怖に震えて縮こまってる臆病者ども。今、どこにいる?守るべき者のある奴ら、何も持たない奴ら、今、どこにいる?」
深々と冷えていく空気に縮こまることなく、雷神は空を仰ぎ見ていた。
レティシアと会う前の自分を思い出す。すっぴん肌の土色の空から始まったが、今”ここ”にいる彼が見る空は暗い。それでも消えてしまいそうな程に弱い蛍光球の光が明滅している。
「隠れていないで出て来い。何を恐れる必要がある?落ちるところまで落ちたモグラに残された運命は……」
――確かに、このまま放っておいてレティシアを救いに北上するべきだったのかもしれない。本来の目的を考えればそうすべきだったのだろう。
ジャン・タークは心の中でレティシアに謝り、雷神は己の心の底を覗き込むようにして知る。
――マイカ、ヤヨイ、エステル。大事な愛しい娘達の生きる場所を無視することなんて、どうしてもできない。手段に過ぎなかったものが、大切な目的にいつのまにか変わっていたのだ。
「死んで連れて行かれる地獄か、生きて味わう地獄のどちらかだ。自分の命を他人に委ねられる傭兵がどこにいるんだ」
――レティシア、レティシア。どこまでも奔放な貴方よ。私は救いのない人です。あれほど諦め続けてきた事を、今になって全て手に入れたいと願う強欲さ。大切なものを全て失いたくないから、救いたいと願う傲慢さ。その為の手段として、全てを利用しようと考える狡猾さ。あまりにも醜くなった自分を、母である貴方は受け入れてくれるのでしょうか――
ジャンが心の中で懺悔を乞う相手は神などではなく、自身の信仰に近い人だった。
そして、男は乾ききった喉を痛めつけるように振り絞って叫んだ。
「鋼鉄の身体を持つ奴ら、その脚で立ち上がれ。鋼鉄の心を持つ奴ら、地獄の業火を恐れずに突き進め!!」
――犠牲は捧げた。後は全てを掴み取るのみ。
「この声が聞こえた全ての給料泥棒達に告ぐ。集え、議事堂街へ。集え、議事堂街へ」
無線は切れ、残るは耳障りなノイズの音のみだった。
龍之介が雷神の肩に労いといわんばかりに手を置く。雷神は振り返ることなく、煙草を摘んだ手を北へ――議事堂街の方向――向け、ただ真っ直ぐに見つめていた。
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神鋼方面で通信兵が無線チャンネルを捉え、奇妙な内容だった為に指揮所に報告書が回ったのは、放送終了から10分後だった。ウラ・イートハーがその報告を耳にした時、この日一番の笑顔を見せたのをエステルは洞察している。
「やってくれるじゃない、ジャン・ターク!!……エステル、貴方も聞きなさい」
興奮さめやらぬ顔でエステルを招くウラ。録音されている放送がヘッドホンから流れる。その音を聞き、エステルは驚きつつあった。
「……お父さんの声?」
その内容を聞くごとにウラの興奮が伝染したのか、エステルも顔が紅潮していく。
――お父さんが私達を守るために立ち上がってくれたんだ!
ただ純粋に事象の表面だけをなぞり、エステルは単純に喜んだのである。
「とりあえずこの放送をGVW中に流すようにしなくてはならないわね。我々も議事堂町北部基地から作戦C-20DEに基づいて配置を用意しておくように。……それにしても、軍再編成化に入っていないガンナーと指揮系統混乱によって遊軍になった部隊の再編を目論むとはね」
喜んでいるウラを見て、エステルは単純な疑問を思いつく。
「といっても、あれだけで集まるのでしょうか。別に命令でもなんでもなく、自由意志だというのに」
その疑問に対し、ウラは断言した。
「集まるでしょう。傭兵達にとって、このままぼんやりしていても何の儲けにもならないわけだし、かといって単独で突っ込めばさすがに生き残れない敵だから。それにあの呼びかけはガンナー達のプライドをくすぐるのに充分だったといえるわ」
そんなものなのか、とエステルは首を傾げた。
――私には結局のところ、茨の道を突き進むように煽っていたとしか思えないのだけど。
納得のいかない表情でいる少女にウラは苦笑して教えたのだった。
「貴方のいいたいことはわかるわ。……ガンナーなんてのはね、無駄死にじゃない限りはそんな危険をこよなく好む、救い難い変態なのよ」
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――集え、議事堂街へ。
2月14日も終わりに近づきつつある深夜、イレグランスホテル。分厚いレモンイエローのカーテンを閉め切った部屋で、少女は父の声を聴いていた。
少女は小さな腕で小さな身体を抱きすくめるようにして、魂の震えを抑え付けていた。
父という名のマスターが呼んでいる。ニューロイドたる彼女が主人からの声に逆らうことができるはずがない。いや、雷神家の長女はこの声を求めていたのだ。本能と感情と意思が同一の方向を向いた時、何者も――己すらも止めることは出来ない。
「行くのかい?」
ベッドに腰掛けていたクライス・ベルンハーケンにとって微かな嫉妬を覚えながらマイカに確認をする。この確認ですら愚問だったかもしれないと心の中でクライスは逡巡した。
ノイズのみになった無線放送受信機の前から動かなかったマイカは、その声に反応してただ一言。
「行こう」
とだけ答え、振り返りクライスの瞳をじっと見た。見つめ返したクライスはあまりに綺麗な瞳に思わずたじろぎそうになりながらも踏み止まる。だが、マイカがクライスの服の袖を軽く引っ張り寄せると、泣き出しそうな声で言う。
「でも、でも、どうやって議事堂街までいったらいいんだろう…」
すでにILBM管轄区域も包囲されつつある状態で、武装無しで突き進むのは不可能に近い段階にある。手足であったトレーサーを持たないマイカには手段がなかった。
「お父さんに会いたのに、ボク独りでは何も出来ないことがくやしい、くやしいよ……」
崩れ落ちそうになるマイカを少年は支えた。力強く、好きな少女に格好をつけるような、ぎこちなくも危うい動作であったが、彼の年齢を考えれば及第点であるといえた。
「マイカ、僕に考えがある」
クライス・ベルンハーケンが後に非難を浴びることを知っていたとしても、この決断を変えることはなかっただろう。もはや彼も理屈で動いている状態ではなかったからだ。
……かくして、2月14日午後9時頃に神鋼管轄区域で流れた放送は、ウラの指示によって苦心しながらもHH包囲網を潜り抜けて午後11時にILBM管轄区域で流れ、15日午前1時にサイバーメック管轄区域に流れることになる。
その放送を聴いたものが何を思うのか。まだ誰もそれを知る由はない。
だが少なくとも、父の声を聞いて雷神家の娘達は議事堂街を目指したのであった。
……to be continued
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NEXT 22話 高度14 「ソルカノン胎動」