SS 『アガペ』 その2
◆6/24 若干加筆修正
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◆その1はこちら◆
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俺の許可なく太陽の光が差し込んでいた。特に瞼の隙間に入り込んでくる光は眩しく、俺の意識を覚醒させるのに充分だった。
「……いてっ」
身体を僅かに起こすと頭に鈍痛がした。慣れた感覚を堪えながら辺りを見回すと、これまた見慣れた公園で土塗れになっている自分を発見する。――どのようにしてここまでやってきたのか全く記憶にないのも、慣れた感覚であった。
俺は立ち上がって土を払い、公園脇に向かって歩き出す。目当ての水道水を――驚くべきことに、GVWにおいて無料なのだ――蛇口を捻った。切れの悪くなった老人の小便のような勢いの水に口を当てると、乾いた喉に滲みこむように吸収されていく。
日の傾き時間は恐らく午前6時過ぎといったところか。さほど変化の無い環境で培われた短い経験でなんとなくわかる。
「6時ならあそこがもう開いてるな」
俺は口元の水を拭うと、酔っ払いに対する罰といわんばかりの二日酔いをツレにして公園を出た。そこから徒歩で10分ほど歩くと、屋台が立ち並ぶ通りに辿りつく。さすがにまだ人の数は疎らなものの、早朝から勤勉にもぽつぽつと開いている店のひとつに入る。
しけた屋台の脚が疲労骨折しかかっている椅子に腰掛けると、即座に器が俺の目の前に出てくる。
コリアンダーのすっきりとした香りが鼻腔を満たし、旨そうな鶏肉が盛られたライスヌードル――フォーと呼ばれている食べ物は俺の主食だ。
「酒弱いくせにまた飲みすぎたんか~?」
「うるへえ」
「ま、ほどほどにしとき」
愛嬌のある八重歯を除かせて、妙な方言をしゃべる店主。マー・リンレイはこのフォーの屋台を取り仕切っている女主人だ。前代の親父が死んでからこの屋台を継いで経営している。
この俺の名で唯一ツケの利く店なのはマーの店しかない。前代の親父が娘に遺言で「慈善事業と思ってウィリーにはいつでもツケで食わしてやれ」と言い残してくれたからだ。今のところ、その娘であるマーは律儀に遺言を守ってくれていた。
金のないときで醤油飯――文字通りご飯に醤油をかけただけ――に耐えられなくなった時はここに来ることにしている。二日酔いを覚ますにもフォーはうってつけだ。
二日酔いでも失われていない飢えを満たすように麺を啜り、具を貪り、スープを一気に飲み干す。酒精を洗い流すように染み渡るスープがやはり旨い。
「うちのオヤジもアンタの食べっぷりが好きやったんやろうなぁ……。ま、モヤシ増量しといたるわ」
「何を今更……照れるじゃねえか」
「それツケやからな」
「押し売りかよ!?」
「ツケでも食べれるだけ感謝しとき?」
文句をいいまくりたかったが、モヤシは美味かったので黙っておいてやった。
「ごっそさん」
と俺は一言だけ告げて席を立つ。マーは3人程の客の相手をしていた為、こちらを一瞥しただけだった。
そっけないもんだと思うかもしれないが、ほぼ毎日――それも幼少期を含め――会っている相手だ。アイコンタクトらしきことも多少は通じているような気がする。
とりあえず家に帰って一眠りしようと歩き出す。ここから3分以内にある廃墟のようなボロアパートに辿りつく。今にも腐り落ちそうな階段を上って3階に俺の部屋がある。
ドアを開くので精一杯の幅しかない廊下を渡ると俺の部屋の前に何かがいた。
毛先にカールがかかった向日葵色の髪の少女。肩から巻き毛を流すような髪型なのにあまりお嬢様に見えないのは彼女の全てに柔らかく距離を置いて拒絶しているような雰囲気だからか。更に目をひいたのは彼女が抱えているぼろぼろの人形だった。
ただ俺の興味を最も引いたのは彼女の紅い――まるで血を溶かして染めたような瞳だった。
「……遅い」
何の感情も込めず、注意してようやく拾い上げることの出来るような小さな声で、少女は言った。